実はわたくし、こういうものでして(双極性障害Ⅱ型に関する自己紹介)
※本記事に記載されている内容は個人の感想であり、読者に対して医学的な判断を提供するものではありません。
簡単な経緯
昨年夏に隣の県にお引越しをするとともに、当時正社員だった職を退職。
引越しの片付けもあるしなぁ…とのんびり転職活動中をしていると、何やら尋常じゃなく気分が落ち込む日が続く。
それは過去にも身に覚えのある、気分の落ち込みでした。
そして昨年秋に医師の診察を受け、双極性Ⅱ型と診断がつく。やっぱりな、という感じ。
その初診で出された2週間分の薬を、何を思ったか2日後にすべて飲み干してしまう(いわゆる軽めのODを速攻でやらかす)。
そこで入院までは至らずも、その後の薬はすべて同居人の管理下に置かれることとなる。
現在は
現在は1日ごとに缶にセットされた薬を飲みながら、週に3日のパートタイム勤務をしています。
パートのない日は家事をしたり、通院したり、家事をしたり…。
放っておくと延々と家事をしてしまう性分なので、ある程度はセーブが必要。
かと言って自粛期間のこのご時世。
気分転換にむやみに外へ出ることもなく、家事もし過ぎないようするとなると、どうしたものか。
…という訳で、最近プログラミングの勉強を細々と進めている。
(早く副業で稼げるようになりたい(欲))
何でこんなことになっちゃったんだろうと、我ながら不思議に思うような。
一方で当然の帰結のような気もする。
知ってたけど言えなかった
ぶっちゃけて言えば、周囲の人と比べて自分のメンタルが弱いことについて、小さい頃からずっと自覚はあった。
感情の基本設定がメランコリックなんだと思う。
アトピーになった時も、バセドウ病になった時も、親は心配してくれた。
(心配かけて申し訳ない。)
でもそれとは別に、新卒の職場も3年続かずに転職を繰り返し、26歳の時の職場環境により適応障害だと診断されたときは、「そんな病気はない。気のせいだ。」と言われた。
実家は(というより母親は)、女の子は『”いわゆる”勉強ができる子よりも、器量のいい子』を人間として価値が高い、とする判断基準を持っているように見えた。
これは母親だけの問題ではなく、母方の祖母からも「ふじちゃんは何でそんなにお勉強するんや?」と聞かれたことがあるから。
子供心に『女は嫁に行ったら勉強なんて不要なのに何故?』という考えが祖母から透けて見えて、非常に不愉快であった。
わたしはお嫁になんて行きたくなかった。
そして親たちは、我が子が精神的に弱いことを認めたくなかったんだと思う。
知ってたけど、「知らんがな」とも思う
まぁでも、基本設定をそう簡単に変えられる訳でもないので。(←開き直り)
周囲からは『まじめで落ち着いた静かな子』という評価はあるけど、『どこか扱いづらい子』として細々とやってきた。
それでも母親としては、理想の器量よしの娘と交流がしたいらしいので、
「髪染めたら?ネイルとかせんの?」
「恋人欲しくない?大学で合コンとか行かんの?」
「夏休みくらいディズニーランドとか行きいや。ガキ使見たら?面白いよ!」等々。
もうね、放っておいてほしい。こっちは細々とやってるんだから。
そんな気持。
…失礼、干話がずれましたね。
何故親の話になったかというと、親って自分にとっては最初の他者だ。
そこで『自分と他者の見えている景色が違う』という絶望を知ると、その先の社会でも同じことが起こる…確率が非常に高くなる。
(回りくどい言い方でごめんなさい)
言い方を変えてTHEシンプルに言えば、
『世間と馴染めてない気分が、生まれてからずーっとあるね』ってことかしら。
年女になるまでかかった
その『世間と馴染めてない気分』を押し殺して、誰から見てもわかる資格を取ってみたり。
数字で成果を出したりして、これまで社会と繋がってきた。
けどやっぱりしんどい。
そのしんどさが今回ようやく明るみになったのだ、という気がする。
35年(丑年なのでもうすぐ36年)、かかりましたね。
自分に合う精神科を探すの難しい
20代で初めて適応障害と診断された診療所では、休職時に提出する診断書に「適応障害」と書かれていた。
その後もずっと「適応障害」という扱いだった。
だから自分でも「適応障害」なんだと思ってた。(何回言うねん)
引っ越しの際に病院を変えることになり、医師間で使う紹介状をもらっていたのだが、忙しくて放置されていた。
何かの拍子に中身を見たら、そこには「双極性を伴う気分変調症」と書かれていた。
「適応障害」の文字はなかった。
自分が医療系の資格者なので、今まで服用していた薬が双極性障害に対するものでないことはすぐにわかった。
じゃあ今までのしんどさって何だったのか。
もちろん初めは、「適応障害」としての症状だったのかもしれない。
でも他の医師に説明する際に「双極性の気分変調がある」と言い切れるのであれば、診察の途中からそういった症状があらわれていたのではないだろうか。
何故そこで双極性に対する治療を放置されてしまったんだろう。
すごくもやもやした気持ちを抱きながら、新しい先生にまた一から今まで感じてた生きづらさを説明しなければならない。とても面倒くさい。
新しい先生のクリニックに通いだして約半年が経つ。
正直先生が話すことが分からない時もあるけれど、前の先生よりはずっとましと思える。
ここで戦い続けなければ、と思う。