fujicocoonの散文

再開なのでお手柔らかに

わたしのプレイリストが変わった日

今週のお題「わたしのプレイリスト」

 

大学生の頃、わたしの人生のプレイリスト=キリンジ

これが絶対で揺るがない方程式でした。

 

ですがそれは、若さ故に非常に視野が狭く、固執していたプレイリストでもあるのです。

 

 

キリンジにハマる

キリンジを知ったのは大学生の頃2000年代半ば。

【DODECAGON】が発売されて歓喜し、過去作品含めてのめりこんでいました。

 きっかけは大学の同級生で、偶然にも東京事変(椎名林檎)が好きだという人と仲良くなりました。

その子と昼食を一緒に取るようになるまでは一瞬。

ふたりともいわゆるオタク体質だったので、林檎さんが好きならこのバンドも…と互いに教えあい、行きついた先がキリンジでした。

 

大学生といったって、性的な経験は決して豊富ではなく、どちらかと言えば真面目で。

そんな我々にとって、例えば冨田恵一feat.キリンジで『乳房の勾配』なんてタイトルのついた曲などはキャッチーでポップ!!。

でも嗚呼どうすればよいのでしょうか。

まるで純文学の表現のような歌詞に対して「やぁこれはエエエ!?、エッチなのではないか!?」と動揺し、中学生のように解釈に戸惑い楽しむ。

という風に、モラトリアム時間の多くをせっせとキリンジに費やし、合間に東京事変perfumeを聞くような学生でした。

 

キリンジと距離を置く

国家試験対策で猛勉強しなければいけなくなったときに、一度音楽を聴くこと自体から離れることにしました。

集中の仕方はそれぞれあると思うのですが、わたしの場合、日本語の歌詞が入ってくると全く集中できない質だったのでやむを得ずといった感じです。

まぁその後就職すれば、元のように音楽を聴くようになるだろうとは思ってました。

ですが、それは予想していたような戻り方ではありませんでした。

 

空いた距離が埋まらない

通勤時間は実家から職場まで、片道約1時間40分でした。

往復3時間を超える電車通勤の中、わたしは昔(学生時代)に聞いていた曲をゾンビのように繰り返し聴くだけの存在になってました。

当時は原因不明の疲労感と、音楽に対する興味の喪失が甚だしく、新しい音楽に触れることがむしろ怖いとすら感じていた気がします。

 

なにが流行ってるか分からない、それを自分が気に入るか分からないから手を出せない。そんな状態だったのかも知れません。

わたしは音楽に愛されていないのか…。

 

 

今思えば、慣れない仕事と通勤と、身内の不幸からくる抑うつ状態だったのでしょう。

仕事を変え、実家を出ることにしました。

引越しの慌ただしさから、自然と生活から音楽がなくなっていきました。

 

心機一転する、その後アニソンとの出会い

それまで実家では何のテレビを見るかという、言わばチャンネル権がなかったのですが、一人暮らしを始めてアニメを録画して見るようになりました。

そこでOPやEDのいわゆるアニソンと出会い、キリンジとはまた違ったキャッチーさを持つ楽曲がたくさんあることを知りました。

梶浦由記さんを知れたのは、『アニメを観るようになって良かった』と思えることの一つです。

それでも積極的に音楽を追い求めていくことは特にないまま、美容院などでかかってる曲なんかに対して『よく聞く気がするな…』くらいの気持ちで生活していました。

 

そして現在

最近はアマプラで知るアーティストも沢山いて、音楽との出会い方が大学生の頃とは大きく変わったなと感じます。

タワレコやJEUJIYAやTSUTAYAで新譜を買ったり、情報を集めてたのは遠い昔のようです。

アマプラやYOUTUBEからおすすめされたリストを耳にすることが増え、今はそこでようやくエド・シーランやブルーノ・マーズKING GNUを知るような状態です。

学生の頃の必死さはなく、そよいだ風が耳元になびく様な気持ちで音楽と触れ合ってるような気がします。

そこにはガチガチに『わたしの好き』で埋め尽くされたプレイリストは、もはや存在しません。

そんな中で最近の個人的なお気に入りは、ロンドン出身のデュア・リパ(Dua Lipa)です。どの曲も格好いいな。(…それにしても若いな。とか思いながら聴いてます)